宮台真司 終わらない日常を生きろ

高速道路もやっぱり全部作りそうだし
経済的崩壊で終わりなき日常が消えるという
展開に70MOE


ということで読み終わりました。
今の時代人々は終わらないはずだった日常を守るために
資格試験に向けて勉強したり、公務員を目指したりしているわけですが、
別にそれでこの種の問題の意味がなくなるわけで無し、
なかなか興味深い本でした。
感想とか考察とかは本気で書くと時間がかかりそうなので
ここではざっと、走り書き程度に。
そのうち暇があったらちゃんと書いてHPの方にでも
アップしようかとか思いますが、どうせ当面やらないだろうな。


まず、
ブルゼラ少女的生活をしていた高校生なんてごく一部でしょうし、
オウムのような宗教に入った人間もごく一部なわけで、
圧倒的多数の人間はそこまでいろいろ考える訳でも
何も考えないわけでもなく、中間ぐらいでしょう。
多くの人の感覚はマクロ視点では最大幸福(若しくは最小不幸)
ミクロ視点では自己と、親しい人間の幸福。
程度の基準で問題なく機能し、
善悪の統一基準がない事も当然知っていて
個別に身近にある事柄に対して判断し、対処して
生きているのではないでしょうか。
最後の方の速水氏との対談の所を読むと
宮台氏も当然のようにそういう認識を持っている
ようですがきちんと書いておいて欲しかったです。
結局はこの種の話は頭でっかちで
そのくせ知力も意思力も不十分な人間にのみ
重大で克服困難な問題なのではないかと
感じた次第です。


あと、どうも頭から離れないのが
考えすぎなのではないかという疑問です。
都市部の大学や大学院に在籍した人間に
オウムの信者が多いと言いますが、
そもそも大学という場所は
サークルの勧誘などに混じって
カルト教団の非常に入り込み安い場所であり、
たんに布教しやすいという理由で信者が
多いという可能性も十分ありえます。
終末系のサブカルもたまたま流行っただけ
という可能性は捨てきれません。