リュック

オタクは何故リユックサックを背負うのか、最近疑問だ。
リユックを背負うと大体の場合見栄えが良くない、
リユックを背負った人間の背中が膨らんだフォルムは本来の
人間それと大きく離れ、不自然だからであろう。
そして、オタクは見目など気にしないし、
そもそもリユックに見た目上の問題があることにも気づかない事が多そうだ。
見目でないなら機能面でリユックの方が優れているからリユックを使うのだろうと推測される。
しかしである、彼らがよく行くであろう秋葉の狭い怪しい店の中ではどうやっても
背負ったリユックは邪魔である。
機能面からリユックには不満が残る筈なのだ。
 
私もかつて学校以外の外出時はリユックを使うことが多かった。
理由を思い出してみる。
そもそも私の母はハイキングや軽い登山などが好きで良く連れて行かれた、
その為私は荷物を入れるのはリユックという固定観念を持っていたふしがある、
また同じ理由からそれなりに質の良いリユックを所有していた。
リユック内部の物をベルトで固定し(中の物が歩く時に動き回ると重心がぶれて動きにくいので
ザック内部にベルトがあり背中側に物を固定できる。薄くなるという利点もある)
エストベルトを確り締めて各所を調整し、荷物の負担を可能な限り軽くして喜んでいた。
痛い話だが肩凝りの酷い私には肩への負担軽減はかなり重要な事だったというのも事実だ。(一番欲しい家電製品はマッサージチェアー)
 
話がそれたが、何にしてもパンパンのリユックは秋葉原では邪魔だ。
秋葉原で何故それを彼らは背負いつづけるのか。
秋葉原の狭い店での動きにくさを考慮しても両手がフリーになるリユック
が優れているというのか、もしくはオタクは荷物を最初に持つ段階での機能性
にしか目が行かず移動先での利便まで頭が回らないのか?
しかし真に利便を追及するなら持ち運ぶ荷物を峻別し、必要十分に、つまり用を満たす範囲で
最小にするのが当然である、オタクがそのような作業をしているとは思えない。
確かにオタクは見目より利便性を重視する、しかしリユックを背負うのは合理的判断のみに
よるものでは無いのではないかと思う。
 
カテゴリ電波、別に正しい事を言おうと思っているわけではない。
ここからは完全に根拠のない妄想だが、オタクは利便うんぬんとは無関係に
リユックを背負う習性を有しているのではないかと思う。
リユックとカバンには一見大した違いはないように見える、
現にリユックとして背負うことが出来るカバンもある。
しかしある意味リユックは身に付けるものだ、巨大なポケットのついた衣服と
考えることも出来なくないだろう。あくまで手に持つだけのカバンと違いそれは
身体の延長として捉えることが可能だ。
そしてオタク達は身体の延長たるリユックに本や、グッズや、ソフトをやたらと詰め込むのである。
それらは彼らの趣味を、感性を、アイデンティティーを、有体物をして示すものだ。
手を離せば、指を開いてパーにしてしまえば離れてしまうカバンなどに入れず、
肉体というハードの延長に背負わなくてはならないものなのではないか。